TTYY|WEB PROJECT|LOCALTALK



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真夜中に行われたロングトークセッション。
HEALTHの立ち上げから、Essential Store オープンにいたる構想まで話しが及んでいます。

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田上拓哉 TAKUYA TANOUE

田上拓哉

1981年 和歌山県 上富田町生まれ
高校中退後、大阪の古着店[Pigsty]に入る
店長兼バイヤーを経て、2003年[enima design]を設立
[HEALTH][MADE by HEALTH]デザイナー



LOCALTALK 第一編のゲストは[HEALTH][MADE by HEALTH]を手掛け、
デザインオフィス[enima design]を指揮しているPUNK社長こと田上拓哉氏です。
取材日は拓ちゃんの仕事押しで1時間遅れで合流したあと、さらに長々と私話が弾んでしまった為、
深夜のインタビュー開始に。そのぶんココでしか聞けないご近所話満載で、たっぷり届けていきます。




- 1Round -    


インタビューはじゃあ、さっくりしっかりやりましょか。

田上拓哉(以下 T):

っしゃ! うんうん。


Y:
和歌山で生まれてさ、幼少期は元気な子供やった?

T:
めっちゃヤンチャ。ちっちゃい頃は家の裏に大きな山があったから、裏山行って秘密基地作ったりとか、山で遊ぶことが多かったかな。
おかんとかはよく「アンタまたこんなんやってもう~」みたいな、
そういう子やった。

Y:
川に飛び込みながら通学してたのは小学校の頃?

T:
家が隣町とぎりぎりの場所にあったから、小学校まではバスで行かなアカンぐらいの距離やって。でも親父が「ほな、チャリンコで行け」みたいな感じやったから、チャリをどっかに隠して学校行って。
帰りは服のまま川に飛び込んで、泳いでエビ採ったりしてましたね。
ウチ自体はおかんが保育士で放任主義やってんけど、親父は喫茶店とかいろんな自営をしてるイケイケやった。その頃は商売を自動的に手伝わさせられてて。あと、親父にはずっと走れって言われてたから、小学校のマラソン大会とかは全部新記録みたいな(笑)。

Y:
チャラチャラしてるように見えて、熱くなったときの突っ込み具合は半端ない拓哉のベースはそこから始まっていったと。

T:
その延長で、親父の野球好きが高じて少年野球入って。

Y:
ピッチャーやったっけ。

T:
ピッチャーピッチャーピッチャー。キャプテンもやってたんかな。

Y:
そういえば学歴中卒やね。中学時代はどんな風に過ごした?

T:
中学校は、田舎の典型的なヤンキー学校みたいなんで。入学したら、もう3年生とかは太いボンタン穿いて、裾13cmのチャック付(笑)。ほんまヤンキー烈風隊とか特攻の拓に出てきそうな人達やって。で、ビクビクしながら学校行ったけど、そのヤンキーのメインの人達が野球部で、俺はその下におったから超縦社会! 結構きつかったですね。

Y:
でもヤンキーにはならなくて、アホで有名やったと(笑)

T:
学校生活で仲良いのはヤンキーの奴ばっかで、ヤンキーまがいの事もしてたけど、俺はそういうヤンキーのメチャクチャ感よりは、めっさアホなメチャクチャ感が強くなっていったんかな。色んな場面で全裸になって走ってみたり、川でいかに遊ぶかとか、オモロかったらええやんみたいな。まわりが「アイツまたあんな事やりよったぞ」みたいになるのも面白かったし。

Y:
センスを磨いてたんやなぁ。古着や服に出会ったのはいつ頃?

T:
ちょうどヴィンテージ・ブーム真っ盛りの時ですね。当時和歌山にあった[バックグラウンド]っていうイケてる古着屋で。そこに中1の頃から通っててんけど、店員の兄ちゃんが格好いいサーファーの人で、サブカルチャーとか女のことであったりとか色々な事を知れた。
俺もドキドキしながら通ってた感じで、中学校の先輩よりはそこの人達と週末とかにちょっと会話できるのが楽しくて。で、だんだん仲良くなって「自分ヴィンテージ好きやったらXXとかBIG E売ったんで」みたいになってきて、それを売ってもらってウエスト42インチのリーバイスを穿いてたり。今思ったらかなりボラれててんけど(笑)。
でも、俺も中学では浮いてたというか1人だけそういう格好をしてたから、それをまた同学年の奴にめっちゃ高い値段で売ったり(笑)。

Y:
当時はなぜかそういう謎のサイクルがあった(笑)。でも和歌山で育ったなかで、古着の感覚に目醒めるんが早かってんな。

T:
そうそう。だからなんか、中学2年で10万ぐらいするヴィンテージのスカジャンとかも着てた。それ着てアメ村行く、みたいな。

Y:
それから高校入って、先生殴ってもうて中退する(笑)

T:
野球推薦で入ったのが熊野高校・森林科学科っていう、共学やねんけど唯一男子だけの学科。こう、勉強のレベルで言ったら和歌山県で下から3本の指に入るところで、1学期終わったらクラスの3分の1が辞めてるような男子学科やって。そこがラグビーも凄い強い高校やってんけど、ある日、ラグビー部の大会の試合が授業とかぶってて、他のクラスとかは(授業を)早めに終わって応援行きましょってなってるのに、俺らの担当の先生は「授業はちゃんと最後までします」って。で、もう俺らのクラスの子も1年でレギュラーで出てたりしたから…

Y:
ある意味、先生も正論やけどな。

T:
正論やねん! やけど「応援しに行こうや!」みたいな感じで皆でワァワァ言ってるときに、俺もヒートアップして「なんでやねん!」って前出て、先生と胸ぐらつかんだ言い合いなって、思いきりドツいてもうてんやん。結局そんなんやったところで行かれへんかってんけど。で、担任が野球部の監督やってんやんか、そのあと担任に呼び出されて、めっちゃめちゃ怒られて停学。

Y:
停学で済んだん?

T:
停学、無期停やで。まぁまぁそれもあったし、何で無期停になったかってのは、その後に(ラグビー部の応援に)行かれへんかった時の先生の車のガラスを全員で割りに行ってんやんか。

Y:
ムカつく~~~って(笑)

T:
ムカつくわ~みたいなノリで。最初、割るつもりは無かってんけど、なんか教室から先生の駐車場が見えてて、そこにジュースを投げたら中身が入っててガラスが割れてもうて(笑)。この際イッてまおかみたいな感じで、みんなともっと割りに行って。

Y:
今の割るつもりで投げたよ、みたいな感じで勢いづいて(笑)
それでマズいぞってなって退学する流れに?

T:
あれ…、言ってなかったっけ? 表向きは退学ってことで言うてるねんけど、大阪に来たんは家庭の事情やねん。

Y:
そうなん! お父さんの仕事が?

T:
そのエピソードが面白いんやけど、幼馴染みのひろ坊って奴がいて、小学生の時からひろ坊と抱いてた「大雨の時は川が増すから、ゴムボートか浮き輪で海まで流れよう」っていう野望があってんやんか。で、高校を無期停になってるときに台風が来て、自分の家からバスの終電の山奥にでっかいトラックタイヤのゴムボートを2人で持って行って、「今や海まで行くぞ」って。やけど思ってた以上に過酷で、足とか切ったりして、2-3時間流れたんかな? 体力もかなり消耗してしまって、それが原因で肺炎になって入院しててん。

Y:
マジで。

T:
1ヶ月ぐらい入院が続いたころに、親父がいきなり病室に入ってきて「拓哉、明日から大阪行くねんや」言われて。それで親父も恐かったし、マジでってなって言うこと聞いて、パジャマのまま実家帰って荷物準備して、次の日には石切(生駒山に隣接する大阪東部の市)にいました。

Y:
無期停っていうのは体裁にしてて、けっこう急な事やったんや。

T:
高校生活をスーパーエンジョイしてたのが、次の日から180度変わって「働かなアカン」と。そこから、大阪の石切で解体屋やったり土方やったりしながらプラプラしてて、そのあと洋食屋に入って1年半くらい働いたかな。で、その間に親父もいろいろ仕事やってたけど、働かん時期とかもあって。このままじゃ食うていかれへんってなった時期に、その洋食屋がつぶれてん。

Y:
わかるその感じ。ウチも同じぐらいの時期に、おとんが会社こかして億が付く借金できて。そのあと、おとんは働いてるんやけど、あんま実質見えへんみたいな。今はテキ屋で頑張ってるみたいやけど(笑)

T:
そんときに「たこ焼き屋儲かるんちゃうん」って思ってん。子供の頃に親父の喫茶店でお好み焼きとかもやってたから、なんとなく粉モノの作り方も覚えてたんで仕入れルートを開いたりしながら、若江岩田っていう場所に小屋とかが立ってるいい雰囲気のとこを見つけて、たこ焼き屋を始めた。

Y:
そこで○○組に拉致られる(笑)

T:
そうそう(笑)。小屋建てて、さあ焼こかってときに恐い人等が来て「なにやってんねん、ちょう来い」みたいなこと言われて、連れて行かれたところがヤクザの組やって。今考えたら話のわかる人やったんかな、俺の見た目もヤンキーっぽく無いから面白がってくれたんかも知れんけど、「そんなんやったら場所提供したるから車買え」って。でも金無いから、ヴィンテージの服とか売って軽ハコの車を買って、今度は大日の交差点でやり始めたんかな。

Y:
そのときは儲かった? たこ焼き屋は結局何年ぐらいやってたん。

T:
結局1年やってないくらいかな。でも月40とかあったんよ。プラス、たこ焼き屋を深夜1時ぐらいまでやったあと、その足で豆腐の種分け仕事も朝方までやってた。だから家に生活費入れれるし、自分の使える金もあったから、MOTRA乗って憧れてたアメ村通いーの、服もめっちゃ買いーの。

Y:
この(写真の)MOTRAやんな。こんときはこの感じイケてたな~。HONDAの4スト50ccってのも良くてね。俺はGORILLAをイジッて乗ってた。古着屋で働きだしたのはそのあと?

T:
和歌山時代から集めてたヴィンテージがまだかなりあったから、当時の彼女と1ヶ月か2ヶ月に1回のペースでフリマを出してたんよ。そんときに西上君(Pigsty オーナー)が店やりながら在庫とかをフリマで出してて、よく隣のブースになっててん。そこで意気投合してピグスティによく通うようになっていった。お互いこう、フリマが凄い好きやったから、東京の新宿野村ビルっていう当時有名やったフリマへ、一緒に出店しに行くことに。結局そのフリマは雪で中止になってんけど、その日の朝方に歌舞伎町で俺はまた「全裸なってストリートキングやってくるわ」って裸になって街を走り回ったりしてて(笑)。
そんな感じで一緒に居った密な時間で気に入ってもらえたみたいで、西上君に「お前、ウチで働かへんか」って言ってもらって。

Y:
なるほど~。それですぐ働き始めたと。

T:
当時、車の整備工場みたいなところからも正社員ならへんかって話があって、迷って人に相談したりもしたけど、ピグスティがそんとき通ってた店やし、自分の中で西上君は格好良いと思ってたから「働かしてください」って感じで言って、販売員デビューした、みたいな。
多分、西上君は無理くり入れてくれたんかな。
でも、今思うと洋食屋にしても古着にしても、年上の人とからむ事がほとんどで。家の事情で和歌山には帰られへんかったし、和歌山の友達と電話もする事も無くなったし。だから今でも年上の人と遊ぶのが気分的に好き。なんか、そういう色々あったのが今でも繋がってるというか、自分で動いた事や人から得た事は絶対経験値になるってわかったんやと思う。

Y:
確実に繋がってるんちゃうかな……お、古着屋入るまできたなぁ!
ピグスティでは何年働いた?

T:
19で入って23で辞めてるから、丸4年働いたんかな。

Y:
けっこういつも店ん中で踊ってたイメージがあるけど。

T:
メチャメチャ踊ってた(笑)。基本服の接客あんませんかったし。

Y:
ウンチクどうこうじゃなくて「こんな感じがこうエエねん」みたいな接客はちゃんとしてたで。あとそう、音がでかかったし。

T:
店の音は凄いでかかった(笑)。キャッチーなパンクもあったけど、最後のほうなんか'80年代とかのストリートパンクをかけてたから、
マイナースレッド、ブラックフラッグとか。で、ヴィンテージ売ってる店っていう、ちょっと変わってたと思うし、変な店やったな。

Y:
ていうかその店の変な店員代表やったと思う(笑)

T:
もろモヒカンとかやったし。でも当時のヴィンテージブームの中で、西上君はヴィンテージも詳しかったけど、センスずば抜けてたから、「パンクの奴は格好良いい」とか、カルチャー的なところを教えてくれたんはあの人かも知れへん。キッズ・オン・ザ・フロッグのTシャツばっかり集めてたりな。

Y:
そいでピグスティ居るときにグラフィックを独学でスタートするの?

T:
ピグスティに入る前ぐらいから刺青入れ始めて、小鶴君(当時 Chopstick Tattoo の看板彫師で、ある種のアメ村アイコンでもあった。現在は彫小鶴主宰)と。ラジカセの刺青を入れてんねんけど、その上に貼るステッカーの絵柄を考えてて、あるとき[HIGH ART]っていうビジュアルブックに出会って、こんな世界あんねや、こんなビジュアルあんねやって、服以外で初めて衝撃を受けた本。もともと落書きとか絵は好きで書いててんけど、そんときにグラフィックに興味もって、Macを知り合いに売ってもらって独学でやりはじめた。

Y:
その本が下敷きになって、今年の夏のテーマ「66-67-68 VISUALISE A SAN FRANCISCO」にもなってるな。

T:
そうそう。ちょうど1周してきて、やりたい事を仕事にするってのをもっとしっかり考えなアカンなと考えてる時期で。

Y:
そういえば店を辞める前に、店のヴィンテージTシャツを隠れて写真撮ってたの覚えてるわ。あ…それは聞いていいの?

T:
大丈夫やで。特に'70年代のヴィンテージが好きで、当時安かったし。絶対Tシャツ作りたいなぁとか思ってたから、買い漁って、いろいろ見て、写真撮りまくってた(笑)。
そのあとでセイゴ君(miraco デザイナー)とそれぞれTシャツ作って味園のイベントで出してん、2枚ぐらいしか売れんかったけど。それがヘルスやるのの第一歩やったかも。



波瀾万丈の学生時代から、ブランド[HEALTH]を始めるきっかけに辿り着いたところで1Round目はあがりとします。
後半の2Roundはブランドスタート期の秘話や、いま考えること、
注目の新ライン? 等々を飛び気味のハナシでお伝えする予定です!





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ピグスティ 田上拓哉


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- 2Round -    


Y:
そういうのって漠然と「コレやりたい」と思ってるとこから、覚悟決まってやり始めると、急に進むもんな。その後、[HEALTH]ってブランドがカットソーメインで始まるんやけど、そうや、事務所ネームのenima design(エニマデザイン)の意味も言ってもらいたいな。

T:
パンクに凄いハマってるなかで、大好きなバンドのジャケットで、
「エネマ オブ アメリカ」っていう、“アメリカに浣腸する”みたいな
意味のやつがあってん。それがめちゃはいってきて、携帯のアドレスとかもenima designにしててんけど、何か綴りを間違えてたみたいで、enimaじゃなくてenema。自分で会社やり始めて屋号を付けなってときに、俺らは今の何とかじゃなくて新しい事したい、おもろい事したいっていうのがあったから、「浣腸デザインや」って(笑)。
でも綴りを間違えてたから、enimaで調べたら何も出てこーへんねんけど。まあそれはそれで良かったかなと思って。

Y:
それが23歳、2003年の1月頃と。会社やるときっていろいろ、特に資金面とか大変ちゃうかったん?

T:
全然もう。ピグスティにも半年前ぐらいに辞めるって言ってたけど、まだイケイケで遊んでたし、服もよう買ってたから貯金ゼロ。
どうしよかなってときに西上君が退職金くれてんやんか、古着では珍しい退職金を30万。それを資金にしてサンプル作ったんよ。

Y:
ホンマにぎりぎりやん。そのお金で、アメ村のニューライトの上に事務所を借りたんか。

T:
そう、当時住んでた家も友達に又貸しして、できるだけ服とかの準備するほうにお金使いたかったから、20坪ぐらいある倉庫のなかに2畳も無いスペースを借りた。デスクと自分の服だけ持って行って、本棚で壁を作って、そこに住みながらデザインし始めた。作りたいもんはイメージできてたけど、作り方がわからへんから色んな人にアドバイスもらいながら。でも、漢字使ったのとか、エロいのとか、ちょっと“ないヤツ”を作ったから「コレ卸すの難しいやろな~」とは思っていて。その時にちょうど知り合いがアメリカにサンプルを持って行ってくれるという話があって、じゃあ単純にアメリカで見てもらおう、ってなって。で、その人から「MOMO(※ロサンゼルスのセレクトショップ)決まったで~、サンプルも置いてきたから」と連絡があって、それからほんまに1週間か2週間ぐらいあとに、新宿伊勢丹のレディース・バイヤーから携帯に電話かかってきて「伊勢丹の何々ですが、L.Aでサンプル見たんですけど、是非やらしてくれないですか」という具合に。

Y:
凄いな!! 始めからオリジナルボディで作ってたの。

T:
自分の好きな質感とかカタチはあったから、オリジナルでやってた。知らんなりに。伊勢丹の電話から3日後ぐらいに、今度はユナイテッドアローズのバイヤーから電話があって「紹介してもらったんだけど是非やらしてもらいたい」と言ってもらい。でも量産体制とかもとれてなかったし、うわぁ~どうしよかな~て感じで…。

Y:
言うてくれてるのは感激やけど、2畳しかないぞって(笑)

T:
そう。それと同時期にたっちん(T-WORLD デザイナー)の展示会に相乗りでやらしてもらう事なって、東京はちょっと変な会議室みたいな部屋で10型展示したんよ。顔合わせしてなかったUAの人とかと会うことができて。で、東京終わってから大阪もやろうとなって、知らんなりに[ロフトマン]であったりとか[ビームス 関西スペシャル]とかに案内出してたら、見に来てくれて展開が決まっていった。あとは、人伝いでオープン直前の[ブティック エルミタージュ][山口ストアー]とか。

Y:
そっから速かったんちゃうの。

T:
うん速かった。いろいろ広がって初回全部で600枚オーダーついたんかな。それで本生産しだしたけど、コスト計算とか全く知らなくて「作ったTシャツこれなんぼ!」みたいな感じで。これ格好いいから¥9,800、これも良いねんけど¥7,800かなとかって、古着屋みたいな値段の付け方をしてて(笑)。サンプル代、生地代、縫製代ってのをあんま計算してなかった。

Y:
やるなぁ~~~(爆笑)。ちゃんと残るやろうと思ってたら…

T:
下手したら利益何百円とか、むしろ赤字やって(笑)

Y:
本人は動いてるからな(笑)。ほんまぁそうやってんや。そんときとか、まわりから見たら結構上手くいってたのにな。

T:
実際「めっちゃ儲かってるやろ」って言われたし、本人もそう思っててんけど。実際フタ空けてもうたら全然金なくて。その次の展示会シーズンで高木さんっていう生産やってるおじさんと知り合って、
会社連れて行ってもらって「アパレルのビジネス」「コスト計算」っていうノウハウが初めてわかった。そら金ないわみたいな(笑)。
それでオリジナルボディとかをより作り易い環境になって。そのシーズンは、今となっては凄い定番の“吊り天竺”のボディを使ってやってたんよ。そこでコスト計算とかもちゃんとやって、徐々にこう…

Y:
スタンダードな環境ができてきたと。それまでは漫画やもん。
ある意味たこ焼き屋やってるときのほうが計算できてたんちゃう。

T:
出来てた。

Y:
でも、作った服を上代の6掛けで卸すっていうは、見た目より甘くないハードルやよな。服屋は服屋でそれを上代で売るねんけど、人件費とか家賃とか大きい経費かかってくるわけやから大変やと思うし。
そこはどっちもバランスやけど。

T:
甘ない甘ない。それは今でもやけどな。

Y:
服屋は仕入れたものが売れ残ったら、けっこうな割合と量のものがセールで30%Offとかになってしまうわけやん。

T:
なんかバランスがな…

Y:
今はモノ(服)とか店舗の数とかが、買う人に対して提供する側のほうが多いっていう、ちょっと業界自体がトゥーマッチやから、もっとミニマムにならなアカンのかも。それで、イケてる店員が育つ環境とか、信頼できるちゃんとした繋がりやったり、もう1回「人」っていうところに戻って僕らも考えていかんと、次無いんちゃいますか?
みたいに思う。

T:
ってなってるよな。それは思う。お金をけずったりして、そのぶんピュアに動いたら糧になるっていうか。

Y:
そうピュアに。…話は戻るけど、服作りのベースになってる部分で、大きく古着があって、あと、音楽やんな。アメリカで衝撃受けたって話も聞かせてよ。

T:
ピグスティ入ってすぐの頃に、アメリカをサーカス方式でまわる[WARPED TOUR]っていうライヴがあって、40バンド位でてる。NOFX、ランシドとか好きやったし、あとカジュアリティーっていうバンドがそのツアーに久々出るってことで絶対行きたかって、西上君に頼んで行かしてもらった。そんときが初めて行ったアメリカ。

Y:
音楽やカルチャーに衝撃受けて価値観変わるってのは人によって色んなパターンがあると思うけど、拓哉の場合どんな感じやった?

T:
いや、自分のアンテナもビンビンやったんやけど、ちょっと恐い中でのLIVEのモッシュやったり、ストリートのARTとか音楽、古着屋入ったばかりやったからスリフトで買い付けもしたり、凄いテンション上がってるなかでそういうのがかなり新鮮やって、もう。

Y:
「これでええんや」みたいなところにクラッたと。

T:
なんか、ジッパーがTALON42やからとかじゃなくて、こんなカタチと雰囲気やから良いみたいな、そういう風に変わった。その前に小鶴君と出会ってアートブック見まくって、'70年代の柄物の感じが格好ええとかもあったし、ヴィンテージ以外の面白さがブァ~~っといろいろ繋がったんかな。

Y:
ストリング・チーズ・インシデントはもうちょいあと?

T:
それがエニマを立ち上げたあたり。

Y:
ライヴ終わったらマザーホールの商店街で寝てたって噂の。

T:
あれは今までで最強かな(笑)。もともと、グレイトフル・デッド、ジミヘン、サンタナ、ジェファーソンとかも結構ビジュアルから入って好きやったから、それまでは意外と聴き込んでなくて、ちょうどエニマを立ち上げた頃からしっかり聴きはじめてた。
その流れでフィッシュ、チーズってとこに行き着いて、それまではパンクで拳上げてたのが、みんなで音楽を楽しむっていうグルーヴィでHIGHなものを知って、マザーホールのやつは失神するまではいかんけど記憶無いねんな。変な話、こういう感覚やったり繋がりがあるんやったら、何とかなるんちゃうかな、もっとPEACEになるんちゃうかなと思えたし。

Y:
道筋“作れる”んちゃうかってな。生音の音楽ってそういう“気付き”があるよね。そんな感覚で服作りも少しずつ変わってきたんじゃない?

T:
音楽やる人って、その場その時の空気感を読み取ってジャムるやん。あれは凄いよな。それを自由自在に操るテクニックは、自分のやってるフィールドでは難しいと思うねんけど、やっぱアレをやりたい。あと音って無形やん、[龍波動]の隼人先生も言ってたけど、無形のものには限界がない、有形には限界がある…それが地球バランスだって。

Y:
龍波動、拓也は去年2回行ったもんな。俺は一昨年末に1度行かせてもらったけど、たまたま地球に魂が遊びに来てるんだって話とか、あと世代感と時代の雰囲気のことやったり、完璧ヤバいわ。
有形のものって例えば自分達やったら「この値段で服作る」とか「この文字数で文章を」って誰かが先にカタチを決める事なんかな。

T:
「そのイメージで作って下さい」とかも。ええねんけどなそれも。

Y:
ええねんけど、無形なもんを忘れたらアカンよ。無形なものと有形なものが共存してるオリジナルなバランスが凄い大事やと。

T:
うん。そやねんな。

Y:
そんなこんなでヘルスも軌道に乗ってきました。チーズを聴いてジャムバンドの良さとかも知りだして、その後にもう一回、アジアとか仏教国に行ったりして、服的にもネイティブというか土臭い感じが出てきたんかな。個人的にはその感じになってからのほうが好きやけど。

T:
ラオス行って、その年はラオスで年を越したのがきっかけかな。生地買ったり、バックパッカーの奴と知り合ったりとか、アメリカとは別のインパクトがあって。それでメイドバイ(MADE by HEALTH)が始まったようなもんやし。ブランドコンセプトでもうたってる、綺麗な夕日見て最強やな!って紅潮したりとか、音楽でアガるのとかって世界共通やなと思って。やっぱそれまではデザインが先行してる部分があったから。

Y:
1シーズンのイメージを考えたり作るときは、どこかにゆっくり行くようにしてるもんな。

T:
海外行ったときって気が張ってるから、その時の感じたものは入ってきやすい、アガりやすい。だからシーズン作る前には、日本でもいいからどこか行って空っぽになるようにしてる。

Y:
イメージが見えてきて、いざデザインするときに気をつけてる事ってある?

T:
う~ん…… “ぶわぁ~ん”て感じ! 見た時にまず自分が“ぶわぁ~ん”て、心や頭にアガる感じのものってのは意識してるかな。感覚的なところを敏感にして。グラフィックやったら自分で出来るから、こうしたら“ぶわぁ〜ん”てくるかなって具合で。“ぶわぁ〜ん”って何やねんて話やねんけど(笑)

Y:
わかる気はする(笑)。“ぶわぁ~ん”っての。やっぱりシルエットとかディテールが先にきすぎると、ちょっとヌケがない服になるもん。ストリート or モードとかって意識はあんの?

T:
なんやろな。よく「なに系なん?」って聞かれるんねんけど、「何系やろお?」でいつも終わらせるねん。あんま意識してないかな。
“ぶわぁ~ん”ってくるブランド(笑)

Y:
もっと言うとストリートとかモードっていうのを気にしては作りたくないのかな? でも“ぶわぁ~ん”は多分ストリートの服やで(笑)

T:
うんほんまはそう。

Y:
生地感やカタチの良い感じ、色柄とか、外で着て調子いいやったり、パーティ向け、そんなんを作る人は総合的にやってるわけやもんな。
そういう足したり引いたりの編集作業が服になるっていう。

T:
足す作業がやっぱ過去は多かったよな。

Y:
今また引いてるよな。

T:
めっちゃ引いてるかも。年とったのがあるかな、経験したのと。

Y:
あと、気になる2010年の春夏はどんな感じ?

T:
こないだ皆既日食を観に奄美大島へ行ってたのが少し関係あるけど、日常のなかでアガれる服は作りたいかな。奄美へは色々楽しみにしながら準備して、気に入ってる服とかも詰めこんで10日間行ったんやけど、いざ行ったら体感温度40度超えって言われるぐらい暑かったのもあって、予想してたとおり結構過酷。酒もバコバコ飲んで気ついたら寝てるっていう、そんな環境で1週間も経てば結局肌触りのいい服3枚をローテーションしてて、なんか色もアースカラーであったりとか。最後のほうとかは作務衣やってんやんか、涼しいしすぐ乾くし。頭は直射日光あたるからターバン巻いてて。そういうのもあって、自分は普段大阪に居てるわけやから、そのなかで自分のエゴももちろん入れつつ、自分のまわりの友達の顔とか、週末に遊び行くときの服、家で着られる服、いろいろ含めてちょっとシンプルにしようかなと。

Y:
なるほど〜よさそう! パンクとかロックやったりがバックボーンにあるけども、日常でアガれる服っていうと横乗りのテンションが入ってきた気もする。ちょっと前から思っててんけど。サーフィンしたいって言ってるのもそやし。縦乗りと横乗りがいいようにバランスされたら丸になるんかな。

T:
あぁ~丸は良いよな!! 丸は刺が無いもんな、地球も丸やし。

Y:
太陽も丸やし。

T:
輪になるって言うしな。ちょっとあれやねんけど、陰と陽のマークもそうやん。悪い部分があって、良い部分がでてくるっていうか。
対局的なものは全て繋がるし、後、よく「お陰様で」って言うやん。

T&Y:
陰のおかげやん!!!

Y:
ヤバいな、“ぶわぁ〜ん”てきた。

T&Y:
(爆笑)

T:
日本の言葉って、漢字ってヤバいよな~~。しかもなんか、全面的にポップなもんとか明るいもんって…

Y:
抵抗あるかも。

T:
抵抗あんねんな。俺はお陰様の部分がちょっと見えるほうが好きやねんな。そう考えていったらアースカラーもくすんでるんよ、黒が足されてて。なんかちょっと暗い部分であったりがあったほうが惹かれてたりするやん、服にしても女にしても。こういうの、この2,3日くらい思ってたんよ。

Y:
多分そういう年やねんで。丸になるために足りひんものに、いま気付かされてる感じはするし。

T:
だから、陰と陽のバランスの中心を今は行きたいよな。

Y:
行動したいよな。「お陰様で明るくやってます」って言える様に。

T:
面白いなぁ…でも面白いなだけでは終わらせられへんねんな。俺らもなにか面白い事して、まわりが良くなったりとか、人一倍そういう可能性にかけてたりするやんか。でもこう、行動は100%注げてなかったりするやんか。

Y:
そやねん。目指してはいるけど、まだまだ。雑音は入ってくるし。それで集中できんかったりムカついてたりがあったら、行動は絶対100じゃないから。でもジェリーさん(ジェリー・ロペス)は海に完全なリスペクトをもってサーフィンやるんだって言ってた。自分のする事にもっとリスペクトがあったら、もう一歩アガれるんちゃうかな。

T:
そやな。もしアガられへんかったとしても、自分が思った行動をしてんねやったら、お陰様でって時がくるんかも。

Y:
あっ 話が全然ちゃう事なってるわ(笑)

T:
それたな~、今なんやったっけ(笑)

Y:
次のシーズンは、もっとライフスタイルに気持ち良いものを作っていくと!

T:
それ。前までは「俺、コレ作りたい」っていうのが殆どやったのが、ほかの何かにフィットするためとも考えるようになってきたかな。次、ヘルスって名前を入れながら、ライフスタイル・ワードローブの新しいラインを作ろうと思ってて、名前の付け方をすごい迷ってんねんな。ヘルスの中の何かって。

Y:
[SUNSET][MOON]とか入れたりは?

T:
考えたあれで、ヘルスはヘルスやねん、もう。でな、365日ってので[HEALTH 365]とかも格好良いかなって。

Y:
とか、247でも良いよな。

T:
247?

Y:
24時間、週7日間。「いつも楽しもう、いつも集中しもうぜ」って。カウンターカルチャー的なところとも合うはずやし、けっこう力強い言葉やと思うで。

T:
そうなんや、それメチャいい。ヘルストゥエンティフォーセブン……決定。

Y:
[HEALTH 247]良いな。“ずっと健全”やし(笑)。採用?

T:
採用でいこ(笑)

Y:
新ラインでは、具体的にどんなアイテムをリリースするの?

T:
例えば、無地で着心地のいい継続定番のカットソーやったり、ロッククライミングで滑り止めの粉を入れるチョークバック風のウエストバッグ、街でちゃんと持てるエコバック風の簡易なバッグとか、そういうTPOを意識したものを値段も安めで考えてるところ。

Y:
これからの動きにも期待してます! それと最後になるけど、事務所を移転してお店も作る予定やんな。

T:
ミナミから少し離れた場所で物件を半分押さえてるところがあって、そこで事務所と1階に店を作って、もっと人とコミュニケーションしながらやりたい。もともと「こういうTシャツが無いな」ってところからアイディアが出てきてカットソーのブランドを立ち上げたから、原点に戻ってみて、もうちょっと服好きのみんなが感じ取れるような、意味のある服作りをしていきたいです。そういう場所、見せれる店にもなれば良いなと。

Y:
直発信は絶対いいですね。オープンはいつ頃?

T:
2010年の春ぐらいにひっそりオープンしたいですね。



(Interview & Text: Takashi Yamano)






























































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ロバート・ワーナー ROBERT WARNER


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ストリング・チーズ・インシデント THE STRING CHEESE INCIDENT









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HEALTH 2009









































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*幼少期のノートに描かれた田上氏の落書き  




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